子どもと一緒に解決していくことが大切です

幼児たちも私から傷を負いました

悩みは深刻になるばかりですこのような幼児は
それでは、本来家庭で模倣して覚えるべき社会性の欠片すらありません。別の見方をすると、家庭の中に社会性が無い故に「育児は大変」と言う言葉が出て来るのだと思います。どれほど高い学歴を付けたとしても、社会性が備わっていなければ社会で必要とされません。失敗しても根気よく教え、出来る様になれば褒める。親は出来るようになった子供に信頼を与え、信頼を与えられた子供は自尊心や自信が付きます。

子どもは元来わがままが必要になるのですけれど
それが社会性の基礎になるのです。こうした経験が人間力となり、社会に出て仕事をする時に重要になって来るのです。家庭での「共同作業」の重要性は、両親と一緒に作業をする事で、共同作業の楽しさを学ぶ事です。それが誰かと力を合わせて一つの物を作る喜びの最初の一歩です。子供が成長して何処かの会社に就職が決まり、仕事を始めたとします。

しつけは始まらなくてはこれは前にも書いたことだが

何も知らないのが、二年もすれば曲がりなりにもわかるようになる。すばらしいことである。どうしてこういう奇蹟がおこるのかよくはわからない。その言葉の先生はだれか。言わずと知れたこと、お母さんである。言葉を覚えることでめきめき知恵がつてくる。言葉はいわば精神の母乳である。その栄養が足りないと、三つ子の魂の発育もよくなくなるであろうお母さんはよほどしっかりした言葉の教育をしないと、とりかえしのつかぬことになるところが、母親には、赤ん坊にとって、自分が最初の、そして、もっとも重要な先生であるという自覚がない学校の先生になるには、大学で教職の単位をとる必要がある。

子どもに示しがつきません一般の学生よりその分だけ多くの単位をとらなくてはならない。それに短い期間ではあるが、教育実習もする。こうしてようやく教師になる。それでもなお、はじめて教師になった人はどうしたらいい授業ができるか、あれこれ考え悩むそれに比べてお母さん先生はのんきなものだ。そもそもそのために何の訓練も受けていない。もちろん見習いや実習などするわけがない。

育児の問題が起こったとき

手を伸ばしてバランスを崩して倒れる事で、どれだけ手を伸ばせばバランスを崩すかを学ぶのです。度手を伸ばしてバランスを崩して倒れると、バランスを崩す所にある物を取ろうとしなくなります。この危険認識について面白い実験があります。生後9ヵ月の、ハイハイが出来るようになって日が浅い赤ちゃんを、台の上に座らせ別の台に玩具を置きます。そして台を少しずつ離して行くのです。

幼児が思い通りに動いてくれないからと

台を離せば、台と台の間には転落する隙間が広がって行きます。赤ちゃんは、手の届く所では玩具を取ろうとしますが、バランスを崩す距離になると手を伸ばそうとしなくなります。それは、転落する隙間が危険である事を認識していると言う事なのです。その赤ちゃんにハイハイで同じ様に隙間を空けて実験すると、お座りの時には危険と認識していた隙間に落ちてしまうのです。しかし、一度経験すれば二度目からは危険を回避しようと別の方法を探そうとします。

      育児って何だろう?
      がらくた工作がらくた工作で創造力をぐんぐん伸ばす
      教育をすることも時には必要です